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『炎の蜃気楼20 十字架を抱いて眠れ』(桑原水菜/集英社コバルト文庫)感想【ネタバレあり】

炎の蜃気楼20 十字架を抱いて眠れ (集英社コバルト文庫)

炎の蜃気楼20 十字架を抱いて眠れ (集英社コバルト文庫)

炎の蜃気楼シリーズ(20) 十字架を抱いて眠れ (コバルト文庫)

炎の蜃気楼シリーズ(20) 十字架を抱いて眠れ (コバルト文庫)

 
『炎の蜃気楼20 十字架を抱いて眠れ』の感想です。
霧の山荘でとうとう高耶と直江は向かい合う。
別離も、確執も、愛憎も越えて、二人は身も心も結ばれる。
ところが、二人の前にはさらなる試練が立ちはだかっていた。
読者はただ静かに見守る事しかできない。
 

『炎の蜃気楼20 十字架を抱いて眠れ』(1996年7月25日発売)

あらすじ

熊本全土を巻き込んだ鬼八騒動から早数か月。
高耶と直江は直江の友人・鮎川に匿われながら、幻霧の立ち込める山荘に身を隠していた。
献身的な直江の看護にも関わらず、やっとの事で意識を取り戻した高耶の憔悴は深まる一方だった。
鬼八の怨念に侵された毒塗れの躰。
そして、明かされた高耶に迫るタイムリミット。
明日をも見えない毎日に、二人の消耗は加速していく。
 

感想

ただただ感無量。
色々書き連ねるのも野暮になってしまいそうですが。
それでも書く、この作品がたまらなく好きだから。

本書は高耶の念と美弥の刹那の再会、直江と鮎川のやり取り、そして大部分を占める高耶と直江のシーン、三つの部分から成る構成。
余計な登場人物や小道具、演出を極力排したシンプルさは、上質な心理劇を彷彿とさせる。
白を基調とした静謐な空間と、彼らの鮮烈な生のコントラストが際立っている。
挿絵もあとがきすらもない潔さに、彼らの過去、現在、未来に立ち会う覚悟を持つよう、読者も迫られているように感じました。
ここまでのお膳立てがないと、二人とも生身の個人として向き合う事も叶わなかったんでしょうね。
それを想うと、切なくて胸が張り裂けそうになる。
ページをめくるたびに、心情の変遷が克明に描かれていて、二人ともなんて不器用で、愛しい存在なのかと……。
 
それだけに、二人が結ばれたシーンには号泣。
20巻以上、このシリーズを追ってきて本当に良かったと思えた瞬間。
だが別れの時はすぐに訪れる。
こういうストーリー展開は想定内だけれど……、どうしてこれほど愛し合う二人が道を分かたなければいけないのか?
ご都合主義でもいいから、二人に幸せを下さいと願ってしまう。
山荘を去る高耶が痛ましいのにあまりにも美しく、そして一人取り残される直江があまりにも哀れで、読者である私はただ翻弄されるしかできませんでした。
   

各シーン雑感

高耶と美弥、束の間の再会

高耶が《闇戦国》に再び身を投じてからの数年間や、高耶の家族の置かれた現状が美弥視点で語られる。
『まほろばの楊貴妃(前編)』では美弥に対して催眠暗示をかけていた高耶ですが、それも止めてしまった。
同じく『まほろばの楊貴妃(前編)』での譲の会話が効いたのかもしれないし、《闇戦国》がさらに熾烈さを増し、そんな余裕もなくなってしまったのかもしれない。
高耶の心配もさせてもらえず、見せかけの安穏とした世界に暮らし続けるか、安否も分からぬ兄の帰りをひたすら待つか……。
どちらが良かったのか、私には分からない(どちらにしても暗澹たる状態ですが)。
兄の事を思えば胸が痛むのはもちろん、周囲の口さがないうわさ話や、また同じく行方不明になってしまった譲の両親の憔悴ぶりなど、美弥を取り巻く環境は厳しい。
高耶達の父親も、自分が荒れていたせいで子供達を傷つけ迷惑をかけた負い目があるからか、どうしたら良いのか分からない。
一人の女子高生が被るには、あまりにも重い現実。
そんな中でも、懸命にバイトをして兄に携帯を渡そうとする美弥。
少しでも兄と繋がっていたい。
とにかく彼女の健気さに号泣。
高耶の視点から見た美弥は、どちらかというと実年齢よりも幼い印象でしたが(大好きなお兄ちゃんに甘えていたんでしょう)、この段階では芯の一本通った女性へと変貌させつつあるように思う。
ずっと庇護してくれていた兄の不在が、図らずも彼女の成長を促してしまった。
兄がいるかもしれない東京へ思いを馳せる美弥が切ない。
しかし、そんな彼女の前に、なんと当の高耶がひょっこりと姿を現す。
美弥が喜びを爆発させるのは致し方がない事だと思います。
童心に戻ったようにはしゃぐ美弥と、それを優しく見つめる高耶。
だが読み進める内に、読者もすぐに違和感を覚える。
そして……。
 

「ノイローゼでもなっちゃったのかな、あの子。ひとりで歩きながら、誰もいないとこに、ずっと話しかけてたんです……」

 
うわぁぁああぁ~~~~~!!!!!
仰木兄妹の関係が尊ければ尊いほど、頭を抱えてしまうシーン。
 

直江と旧友・鮎川との会話

鮎川、下の名前が明かされていないのと、上杉配下の鮎川氏には私が調べた限り生没年が不明な人が多いので、今一つ彼のバックボーンが見えないのですが。
彼は数年前に目覚めたばかりで高耶とほぼ面識もなさそう。
だからこそ、一歩引いた目線で上杉景虎という人物に忌憚ない極々一般的な意見が言える。
鮎川の視点というのは、直江が大恩ある上杉に対してどんなに大それた事をやらかそうとしているのかを強調するうえで、どうしても必要なものなんですよね。
景虎と直江に接してきた人間達なら「あぁ、直江なら景虎のために大将職も投げ出すよね」と自然に納得してしまうので。
そして、カリスマ・景虎様よりも直江に執着しているというのも、このシリーズにおいては比較的珍しいポジション。
二人の特性の違いゆえ、皆の視線はどうしても景虎に集中してしまうから。
そんな中で鮎川は違った切り口を見せてくれる。
そこに桑原先生の人物造形の妙を見る。
 
友人思いで基本的には凄く良い奴だよなぁ、鮎川。
命令に逆らっても、二人を助けてくれたり、日用品まで調達してくれたりと……。
そんな鮎川に対して、直江は礼を言いつつも頑なな態度。
ムッとする以前に、鮎川も驚愕したに違いない。
400年にまたがる景虎と直江の経緯を知らないのだから当然ですが、鮎川の目から見たら直江は全く違う生き物に変貌を遂げたように映った事でしょう。
これほどまでに直江を変えてしまった景虎とは何者なのか?
鮎川が興味を持つのも不思議ではない。
しかし、それが鮎川をある種の泥沼に陥れる事になるとは、この時は思いもよりませんでしたが……。
斯様に景虎と直江の関係性は輝かしいものだけれど、同時に他者をも引きずり込む強力な磁場を持つ。
正直、恐ろしい。
 

苦しみに喘ぎ、すべてを放棄してしまった高耶

あまりにも色々な事を背負いこみすぎて、すっかり衰弱してしまった高耶。
毒をまき散らし、愛らしい動物達をも殺してしまい……、どうしてこんなに優しい人が。
「できる事なら変わってあげたい」などと安易に言う事もできない壮絶さ。
すべてを放棄してしまいたくなるのも分かる。
スープすら一人で飲む事もできない。
そこにはもちろん、皆を400年間導き続けた冥界上杉軍総大将・上杉景虎の面影はなく。
彼のそんな姿を見続けなければいけない直江もツラい。
「景虎を誰もいないどこかへ閉じ込め独り占めする」というのは直江も何度となく夢想しただろうけれど、高耶の心に触れられないのであれば、そこに何の意味があるのか……。
これほど愛しているのに、高耶の心の隙間を埋められない無力感が切ない。
 

「認められたくない人間が、どこにいる」

景虎には遥かに及ばないものの、直江が捨てた総大将の地位や橘義明の家族は、自身の想像以上に彼の中で大きな存在だった。
ここで己と景虎の指導者としての力量を比べて、打ちひしがれる直江が本当に彼らしい。
 

(そんなに称賛が欲しいか)
(そんなに世間の評価が欲しいか)
「あぁ欲しいさ……」
投げ遣りになって直江は呻いた。
「認められたくない人間が、どこにいる」

 
この期に及んでも発揮される競争意識と上昇志向。
しかし、それは直江が景虎にとてつもなく惹きつけられた心の源泉でもある。
批判者が最も相手の素晴らしさを知る信仰者となる。
まさにアマデウスとサリエリの関係性。
 

精神的精子(スピリチュアル・スペルマ)

どうしても高耶を取り戻したい直江は、高耶の性器に触れる。
これはとてもシンボリックな行為ですね。
性器は高耶のセンシティブな心の象徴だから。
過去のトラウマに錯乱しつつも、真摯に呼びかける直江。
この辺り、『黄泉への風穴(後編)』と比較すると興味深い。
やはり直江の深層により深く入っていくには、開崎ではなく直江自身の体でなければならなかった。
どこかしら位相のズレた二人の掛け合いが、徐々に同じ空間=”現実”へと集約していく様がやはり舞台的。
まさに射精の如く、このシーンがなければ高耶の本音をすべてを吐き出す事ができなかった。
そして、やっとあるがままの直江を認識する高耶がドラマチックです。
 

現実に引き戻された高耶の懊悩

これはこれで以前とはまた違った苦痛。
現実と幻想をすり合わせる事によって、高耶はさらなる自虐に落ちていく。
高耶の直江に対する、一見威圧的だけれど力のない物言いが切ない。
彼の示威は怯えと自尊心のなさの裏返し。
二人がただただ傷つけあっていた頃を思い出す。
だがあの頃は違い、直江は覚悟を決めてしまっている。
それは高耶ですら止められない。
 

「どうして、おまえは生きているんだろう」
「―――――……」
「どうしてそうまでして、オレを生かそうとする」
(中略)
「あなたが……好きだからですよ」
「…………」
「あなたというひとが……、好きだから」

 
大将の地位を降ろされ、(高耶本人から見れば)醜態をさらし、挙句の果てに毒をまき散らす躰になってもなんの躊躇いもなく受け入れてくれる。
だがそれと同時に直江の直向きな愛は、千秋や美奈子の犠牲を礎にした二人の罪深さの証拠でもある。
高耶は直江の想いに喜びを禁じ得ないのと同時に、地獄の業火に焼かれるような苦悶も味わったでしょうね。
「出ていってくれ――……」の言葉通り、愛する男を目の当たりにしているのすら辛かったと思います。
 

高耶の自殺未遂

……もう、言葉もない。
ただただ苦しくて、でも直江を殺す事もできないから、後に残された手段は自分を消してしまう事のみだったなんて……。
それでも己の無力感に涙する直江に、寄り添い、救いを齎す高耶が神々しすぎる。
高耶と磔刑にかけられたイエスの姿が重なる。
 

「どうして……俺はこんなに無力なんだ……」
血の塊を吐くように、直江はうめいた。
「勝っちゃいない……」
嗚咽をこらえながら、くり返す。
「俺は、本当に勝つべきものに、なにひとつ勝ってはいない」

 
400年前から今に至るまで、散々景虎に脅かされた直江が、愛する人を決定的に失う寸前になって、やっと気づけた本当に戦わなければいけないもの。
感動に打ち震えると同時に、直江が立ち向かおうとしているのが人が対峙するにはあまりに大きな存在過ぎて、読者である私も慄然としてしまう。
 

身も心もひとつになる二人

他者はおろか自分すら信用できない高耶に愛を証明する唯一の方法。
十五万の夜を超えて、二人は結ばれる。
肉欲ももちろんあるんだけれど、神聖な儀式めいている。
このシーンでは、越後の浜辺での二人の出会いから、景虎が晴家を夜叉衆の任から解こうとした場面、そして三十年前の二人の確執と聖母のような美奈子の存在が走馬灯のように流れる。
二人が共にしてきた四百年の記録の一端が、感動にさらなる拍車をかける。
 

「存在にとって一番の喜びとはなにか。あなたに、わかりますか」
「…………」
「存在が、存在する目的を満たすとき、です」

 
あの景虎に傷つけられる事に疲弊していた直江が、それすらも景虎を愛する喜びに塗り替えてしまうのが感慨深い。
しがらみも、雑音も捨てて、ただただ直江の心の核に残ったのはそれだった。
 

「これが私です……」
直江は静かに告げた。
「なにひとつ隠していない……あなたへの証だ」

 
無条件にこれだけの大きな愛を捧げられたら、高耶ももう直江を手放せないと観念しても仕方がない。
 

愛しい人の寝顔を見つめながら……

ひとつひとつの呼吸が、愛しかった。
あれだけ何度も交わっておきながら、欲しいという気持ちが尽きない。
(彼は麻薬だ)
最高級の麻薬だ。回数が増えるほど禁断症状の出るまでが短くなる。こっちがボロボロにされそうだ。最後の一滴まで搾り取られて「出ない」と泣きが入るのは、直江の方かもしれなかった。
(俺だけの怪物(ファントム)……)

 
直江節全開です。
高耶を抱いた事により、さらに愛情が増したというか……、本当に直江の想いは底が知れない(むしろ底が抜けている)。
ただこの至福の楽園が永遠でない事を、彼は承知していて……。
直江は高耶に対してまだ話す事のできない重大な秘密を抱えていた。
景虎の魂の寿命が近づいているという残酷な事実が、ここで読者に明かされる。
今の内に彼を調伏しないと、転生もできず魂魄が破裂するか、白色矮星のように静かに息を引き取るか……。
うわあああああ~~~~~!!!!!
運命の神、ちゃんと仕事しろ!!!

なんで高耶さんばっかりこんな目に合わなければいけないのか!?
二年間、直江もこの究極の選択に夜も眠れぬほど悩み続けたんでしょうね。
もう私の貧困な想像力の範囲を超えた煩悶。
こんなの、よりにもよって直江に答えが出せるわけない……。
 
一方、時は変わって、今度は直江の眠る姿を眺める高耶。
400年を共にしても、今まで直江の寝顔を眺めた事なんてほとんどなかったんですね。
そう言えば、直江は景虎と風呂に一緒に入るのも固辞していた。
その一銭を越えてしまえば、自分の歯止めが利かなくなる事、直江も分かっていたんでしょう。
しかし、それが習い性だった直江が寝顔をさらすのは、高耶と生活し、おまけに肉体関係を持った事で消耗してしまったから。
こんな暮らしを続けていれば、早晩どういう事態になるかは、火を見るよりも明らか。
愛するからこそ傍にいられない。
王道ゆえに使い方を間違えると陳腐になってしまう展開ですが、さすが桑原先生、読者を有無を言わさず悲しみのどん底へ突き落としてくれる(褒めてます)。
高耶はまた一人で重大事を決定してしまった。
気持ちはわかるけれど、彼はもう少し我が儘になっても良い。
というか、誰よりも我が儘になっても許される資格があるのに……。
 

「おまえと出逢えたことが……オレの幸福だった……」

空気の澄んだ夜明けの山荘で、ワイングラスを交わす高耶と直江。
 

「なにに乾杯しますか」
「…………」
「あなたとの……再会ですか」
高耶は目を伏せる。淋しそうな表情をしている。
「オレたちの……四百年に」

 
とても静かなシーンですが、それだけに二人が積み重ねた時間の重みが切々と伝わってくる。
だが、それは別れの合図でもあった。
この時の高耶の心情を思うと遣る本当に瀬無い。
あえて、直江のグラスを奪って、薬入りのワインを口移しで飲ませたのに、高耶の直江に対する未練と愛情の迸りを感じずにはいられない。
高耶さ~~~ん!!!
体の自由を奪われた直江と共に、読者も高耶の名前を叫ぶ事しかできない、そんなラストシーンでした。