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『炎の蜃気楼 ー断章ー 砂漠殉教』(桑原水菜/集英社コバルト文庫)感想【ネタバレあり】

炎の蜃気楼番外短編集 砂漠殉教 (集英社コバルト文庫)

炎の蜃気楼番外短編集 砂漠殉教 (集英社コバルト文庫)

炎の蜃気楼シリーズ/番外短編集 砂漠殉教 (コバルト文庫)

炎の蜃気楼シリーズ/番外短編集 砂漠殉教 (コバルト文庫)

 
『炎の蜃気楼 ー断章ー 砂漠殉教』の感想です。
己の体内の毒が愛する者を傷つけるのを愁い、二人っきりの牢獄である霧の山荘から消えた高耶。
そんな彼を捜し求める直江の姿を描いた「砂漠殉教」。
古城高校の卒業式当日、高耶との友情について葛藤する譲を主人公にした「十八歳の早春賦」。
二編を収めた短編集。
 

『炎の蜃気楼 ー断章ー 砂漠殉教』(1997年10月3日発売)

「砂漠殉教」

あらすじ

霧の山荘を去った高耶をひたすら捜す直江。
総大将の地位を放棄し、組織力を失った彼は、新たな情報網を構築するために奔走する。
途中、葛城一蔵という奇妙な憑依霊に目をつけられ襲撃を受けるが、もちろん歩みを止めることはなく……。
そんなある日、直江の下へ意外な人物からの連絡が入る。
 

感想

砂漠を歩む人間が水を求めるように、直江は高耶を求め歩く。
彼の情念と真夏の東京の情景と相まって、読者の心を焼きます。
彼のモノローグはどれも凄まじいけれど、今回も負けず劣らず。
自虐と高耶への愛の中でのた打ち回る直江。
彼はこの先もずっと試され続ける。
色部、ひいては自分が生き続ける大義名分だった上杉からの決別も、その通過儀礼のひとつ。
嘘偽りのない想いを告げ、決意表明をするのが、彼が色部に示す事のできる唯一の誠意だったのでしょう。
 
本作では今後も直江と行動を共にする葛城一蔵が登場。
現在の直江に率先して絡んでいくなんて怖いもの知らずなという感じですが、そこが面白い。
一蔵が傍にいなければ直江はずっとダウナー状態で物語も上手く回らない部分があるから、彼のような存在は必要不可欠。
  

各シーン雑感

【東京行きの夜行列車での直江と一蔵の邂逅】
”狩り”のために無防備な乗客を物色していた憑依霊の一蔵は直江に目をつける。
確かに直江はある意味上物だろうけれど、正直「えっ、他に獲物はいるのに、なんでよりによってそこ行ったの!?」と思った。
見るからにヤバいでしょ、彼は。
景虎に置き去りにされた直江は、以前のスマートさと比べて見る影もない。
ただ景虎を追い求める獣か幽鬼といった風情。
 
【旧友である新聞記者・園田を訪ねる直江】
怨将が引き起こす騒動を一般人である園田から見た視点、あながち本質を外していないのが印象的でした。
直江が自嘲したくなるのも分かる。
公安も相変わらず動いているようで、二階堂さん達は今頃何をしているだろう?
あと直江の行方をずっと捜している橘家の人々が心底気の毒になりました。
あの気丈なお母さんも苦しみに喘いでいるんだろうなぁ。
 
【高耶が去ってからの己を振り返る直江】
直江の宿泊する場末のビジネスホテル。
煙草の匂いのしみついた部屋に安っぽい観葉植物などが、高耶が去って直江の世界がすっかり色褪せてしまったのを象徴している。
高耶を一人行かせてしまった事に対する自分への嫌悪や悔恨の中を堂々巡りをする直江。
まるで灼熱の屋外に晒されたように、読者であるこちらも息苦しくなる。
直江が高耶を求めるのは、もはや生存欲と直結している。
高耶を希求する事によって無尽蔵の泉になれるのなら、もし彼を失ったらどうなるのか……、考えただけでゾッとする。
 

「――仰木高耶――…っ」

 
鬼気迫る直江には、祈りの言葉にも似た愛しい人の名を呟く事しかできない。
高耶を見つけない限り、束の間の精神安定剤にしかならないのだけれど。
 
【笠原時代の友人・村内との再会】
このシーンは《昭和編》を読んでいるとさらに感慨深い。
本作自体は大分以前に書かれたので《昭和編》の尚紀の人物像とは若干ズレを感じるけれど、それでもこの場面は色褪せない。
笠原時代の友人である元情報屋の村内に会いに行くというのは本来あり得ないんでしょうが、それだけ今の直江は背に腹は代えられない状況に立たされている。
使える者なら何でも使う。

村内の振舞ってくれた温いビールや風鈴の音、クーラーのない部屋に、時が巻き戻っていくのを感じる。
村内が直江のビールの飲み方を見て笠原と同一人物である事を確信したり、村内の内縁の妻・明子との朝顔のエピソードにも味がある。
「七月生まれのシリウス」で高耶と直江が朝顔を見ていたシーンを思い出して、シミジミとしてしまった。
あれから数年しかたっていないのに、二人の置かれた状況はなんて激変してしまった事か……。
 
【それぞれの道を行く直江と色部】
とりあえず色部さんが無事で良かった。
熊本で信長にボコボコにされたから。
村内に関しては、直江よりも色部さんの方が一枚上手でしたね。
景虎のような派手さはないけれど、経験に裏打ちされた仕事ぶり。
 
荒涼とした廃墟のような埋め立て地での二人のやり取りは、作中でも言われているけれど静かな戦争です。
共に歩んできた400年や互いに絶対譲れない信念を賭けた男同士の戦い。
色部さんの言う事はいちいちお説ごもっともで耳が痛い。
そして、最後まで直江をかばい通した鮎川の友情にも胸を突かれる。
しかし、もう直江は揺るがない。
 

「人の生き方を決めるものは、ただひとつです。己が何に殉じるか。ただそれだけです。それが人生のあらゆるすべてを決定する。殉じるものの前にあっては、世間の声も罵りも歴史が示す正義さえも、すべて無力と化すんです。直江信綱は上杉景虎に殉じる人間です。私はあのひとに殉じて生きる存在です。千年先も。永劫――」

 
このシーンは『火輪の王国(前編)』の水前寺成趣園での二人の会話と重なります。
あの時、直江本人すら気づいていなかった(もしくは見て見ぬふりをしていた)上杉への未練が色部には見えていたんでしょう。
だが今回は違った。
直江の生き様というのはエゴイズム満載なんですが、他者に「コイツには絶対敵わない」と思わせる迫力がある。
色部もまたそれに敗北したんでしょうね。
景虎や直江に対する親心も多分に含まれているだろうけれど。
 
たとえ高耶が望まなくとも、彼を助ける事を諦めないというのがとても直江らしい。
あと最後に色部と暗殺者の関与を疑った事に対して愚直に謝罪するのも。
どこまで行っても不器用な男。
 
それに対して色部は「気をつけてな」、「景虎殿を死なすなよ」という言葉を残す。
道を分かっていく者に対する彼の最後にして最大の餞の言葉。
 
【直江と一蔵の旅の始まり】
直江を突け狙らう内に、彼に対して多大な興味を持ち始める一蔵。
上杉の重鎮同士の会話を盗聴するって、冒頭のおやじ狩りといい命知らずなヤツ。
直江に盗聴器仕掛けるとは、なかなか侮れませんが(直江の詰めが甘すぎって意見もあるけれど)。
阿波徳島に伝わる奇妙な『星』の伝説を求めて、二人の道中の始まり。
重苦しさははれないけれど、奇妙なワクワク感がある。
終始一貫してシリアスな本作ですが、直江による問答無用の(《調伏》だな)に思わず吹き出してしまいました。
 

「十八歳の早春賦」

あらすじ

大学受験を終え、いよいよ城北高校から卒業する譲。
だが同じく巣立っていくクラスメイトの中に、親友の高耶はいない。
譲はあらためて高耶の置かれた現状への怒りと悲しみ、そして自分への無力感に苛まれる。
卒業コンパの帰りに学校の傍を通りかかった譲は、門の前に佇むある人物の姿を捉えた。
怨霊調伏に忙殺されつつも、人気のない高校を訪れた高耶。
二人で夜の校内を巡るうちに、譲は心の奥底に秘めていた苛立ちを高耶にぶつけるが……。
 

感想

荒んでいた高耶の心をほぐし、親友として受け止めてくれていた譲のイメージが覆る傑作。
優しくて、でもどこか頑固な、一見どこにでもいる少年。
しかし、彼も当然そのままでいられるわけがなかった。
高耶とどんどん開いていく距離への焦燥。
そこにはもちろん、高耶の境遇に対する義憤や彼を大切に思う気持ちもあるんだけれど、どうしても埋められない劣等感も含まれていた。
多少の成長では、400年生きた高耶には追い付けない。
たかが高校を卒業しただけの自分に何ができるのか?
譲は高耶を自分の固定観念に当てはめようとしているだけなのではと卑下するけれど、それは高耶を理解したいという願いがあったらればこそなんですよね。
 
夜の学校で互いへの苛立ちをぶつけ合う高耶と譲。
手加減なく相手への不満を漏らす。
「ここまで踏み込むのか?」と、読んでいる時は正直ヒヤヒヤしました。
胸を締め付けられるシーンであると同時に、高耶の覚醒以来遠慮がちになっていた二人が、これからもずっと親友であり続けるために絶対必要な過程。
自縄自縛に苦しむ高耶は、こんな事でもなければ本音を吐き出せなくなっていただろうから。
 

「他人の気持ちなんか、どんなに生きたって、そんなに容易にわかるわけがない!」

 
高耶が言うとより一層重く感じられる言葉。
そこで譲はあらためて気づく。
人はたとえ何百年生きようと、神のように完璧な存在になれるわけではない。
高耶もまた一人の人間に過ぎないのだと。
明確な言葉はないけれど、サッカーボールのパスを繰り返す姿に、二人の心情が表れていて目頭が熱くなりました。
これもまた彼らの区切りであり、ひとつの”卒業式”の形。
夜が明ければ、また偽りの現実に戻らなければならない高耶だったけれど。
 
また今回は久しぶりに、あの森野沙織が登場しました。
いつもはコメディ面が浮き彫りになっていた彼女ですが、譲や自分へ真剣に向き合っているのが伝わってきて、一人の女性として成長していく様が感じられました。
最終的には一歩を踏み出す事のできる前向きさも、さすが森野だなと。
これからの展開を踏まえると複雑な面もあるけれど、ここではやはりエールを送りたい。
 
そして卒業式には出席しなかったものの、当日、千秋が城北高校に来ていたのもなんだか嬉しかった。
彼なりに城北高校での生活を大切にしていたと思うのは、感傷が過ぎるでしょうか?
いつもは軽口をたたいていても、譲に語りかける姿に400年の時の流れを生きてきた者の奥深さが感じられました。
この二人もなんだかんだ言って良いコンビだったなぁ(涙)。