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『炎の蜃気楼 群青』(桑原水菜/集英社コバルト文庫)感想【ネタバレあり】

炎の蜃気楼 番外編 群青 (集英社コバルト文庫)

炎の蜃気楼 番外編 群青 (集英社コバルト文庫)

炎の蜃気楼 群青 (コバルト文庫)

炎の蜃気楼 群青 (コバルト文庫)

 
『炎の蜃気楼 群青』の感想です。
『覇者の魔鏡』に登場した景虎の生家・北条氏の物語「群青」。
『硝子の子守歌』『琥珀の流星群』の二冊にまたがる《仙台編》の後日談「七月生まれのシリウス」。
二作を収録した番外編。
 

『炎の蜃気楼 群青』(単行本:1996年3月22日発売、文庫版:2002年9月3日発売)

「群青」

あらすじ

『覇者の魔鏡』の三年前。
天下統一を目指す北条氏は、怨将となっても変わらず家族の強い結束を保っていた。
そんなある日、当主・氏政の命が何者かに狙われ、北条に縁の場所も次々に破壊される。
怒りにかられ、暗殺者を罠にかけようと目論む氏照。
ところが暗殺者は、長兄・氏政や上杉の養子となった末弟・三郎と意外な因縁を持つ人物だった。
 

感想

景虎の実家であり、『覇者の魔鏡』で敵対せざるを得なかった北条氏。
並みいる怨将の中でも敵対したくない陣営トップクラスですが、その気持ちにさらに拍車がかかる事請け合い。
北条氏、素敵すぎる。
次男の氏照はもちろんですが、今回は長兄・氏政に焦点が当たっています。
『覇者の魔鏡』でどうしても彼を嫌いになれなかった身としては大歓喜。
一家の長として、ただ優しいだけの兄でいる事を許されない葛藤や後ろめたさ。
怜悧さの中に垣間見える不器用さ。
一人の人間像を繊細に捉えている。
これだけ人間の機微を丁寧に捉えた作品を、少女小説で読めるというのは本当に贅沢。
氏政や氏照をはじめ、登場人物達すべての人物造形も素晴らしく、取ってつけた感が全くない。
一見違うタイプでも皆どこかしら繋がる部分があって、「あぁ、この人達は家族なんだな」と読者に感じさせる強い説得力に裏打ちされている。
 
氏政と本編の主人公である末弟・三郎(上杉景虎)の関係も興味深い。
氏照と三郎とはまた違った意味でドラマチック。
絆の深い一族の中において、どうしても親愛を抱けない者同士。
接した回数は少なくとも、それぞれのエピソードが読者の胸にも突き刺さる。
氏政は三郎の中にある大きな”何か”に、無意識ながらに気づいていたのかもしれない。
 
また本作のエピソードは『覇者の魔鏡』のエピソードとも有機的に結びついている。
中禅寺湖の一騎打ちで謙信と景虎の仲を当て擦ったのは、強姦事件を知っていたからなんだなとか。
氏政と蝶を追ってきた三郎が鉢合わせるシーンと、氏政の蝶の毒に侵された景虎の符丁とか。
ただでさえ感動的な『覇者の魔鏡』ですが、それがさらに味わい深いものになる。
二作の見事な相乗効果。
それにつけても、もうこの素晴らしい一族が現世に存在しないのかと思うと、諸行無常を感じずにはいられない。
願わくば、彼らが愛した群青の海に還れん事を。
 

各シーン雑感

【八王子城跡を訪ねる氏照】
実は八王子は私の生まれた土地。
馴染みの場所が大好きな作品である『炎の蜃気楼』に登場したというのは純粋に嬉しい。
実際、八王子城跡にも何度か足を運んだ事があり、城主だった北条氏照にも自ずと思い入れが深くなります。
あらためて、桑原先生、氏照兄をこんなに素敵な人物に描いてくださってありがとうございます(私がお礼を言う筋合いでもありませんが)。
 
それにしても、偶然出会ったアマチュア郷土史家に説明を受けながら、かつての自分の居城跡を巡るというのはどんな心持ちになるのか……。
私の貧困な想像力などでは及びもつかない。
しかも氏照は豊臣秀吉による小田原征伐の際、結果的に兵や城の人達を置き去りにする形になってしまった。
残してしまった人々に恨まれ八つ裂きにされても仕方がない覚悟でこの地にやってくるが、臣下達はいまだに彼を慕っていてくれた。
何のためらいもなく怨霊を抱きしめ涙する氏照。
彼のまっすぐさ、優しさ、熱さが伝わってくるエピソード。
『最愛のあなたへ』で魚津城の霊達を慰撫した高耶の姿とも重なる。
時代に引き裂かれても、やはり兄弟なんだなと胸がいっぱいになりました。
 
【機械のような風魔小太郎と氏照のすれ違い】
『火輪の王国』を読んだ直後なので、そのギャップにハッとしました。
まだ人の情を解さず、実利しか眼中になかった時代の小太郎。
それがたった数年で別人のように……。
高耶の影響力はやはり半端ではない。
人って一人の他者との関りでここまで変わってしまうのかと思うと空恐ろしさすら感じる。
しかし、そんな小太郎に対して、人情や家族愛について逐一説く氏照は本当に義理堅い人。
こんな正反対の二人が、いざ戦いとなると際立ったコンビネーションを見せるのが面白い。
 
【朝の御幸ノ浜での氏政と氏照の語らい】
今は大軍を率いる将として成長した兄弟が、幼少時の思い出を懐かしむ温かなシーン。
いつもは厳しい顔の氏政も、心なしか安らいで見える。
修羅の道を行く彼らにとって、故郷の海というのは憩いであり、家族愛の象徴のような場所。
だからこそ、その海を汚した者共が許せない。
氏政と氏照の無念や、彼らの絆が伝わってくる。
 
一方で、氏照はこんなに家族愛に溢れた氏政が、なぜ三郎に対してだけは一歩引いた態度をとるのか理解できない。
世情ゆえに人質生活を余儀なくされた末弟を気遣うのは、義に厚い氏照にとっては呼吸するかの如く当然な事。
しかし氏政は……。
 

「そなたにあらためて命じるとしよう。そなたは早く三郎を探し出すことじゃ」
(え――……)
一瞬耳を疑った。
「それでは兄上……」
「三郎を見つけて北条に連れ戻す。いつまでも上杉にいさせるわけにはいかぬからな」
「そのとおりにございまする!」
氏照は力を込めてうなずいた。
「三郎は我らが兄弟じゃ!今度こそ、この相模の海に連れて帰りまする!ともに戦いましょう。北条の天下のために……!駆けましょう、この大地を!」
「北条の天下のために」
氏政は静かに微笑した。
「ともに、な」

 
懸念の晴れた氏照と、真意を心の奥底に沈める氏政。
一見一致しているようで、どこまでも断絶した二人の対比にゾクゾクしました。
 
【叔父・北条綱成の目から見た氏政】
北条氏の当主としての義務感と家族愛の狭間で板挟みになる氏政。
彼の不器用さや孤高ぶりがより明確になる。
妻・黄梅院に関するエピソードからも、実直さがうかがえる。
ただ尊敬する父・氏康の仁政を敷く為、ただただ自省と自制を重ねて、まっすぐに歩み続ける人。
だがその道は険しく、時には気心の知れた弟ですら理解するのは難しい。
弟・三郎についても、氏照のように純粋な家族愛で接する事はできない。
なぜなら、三郎はすでに冥界上杉軍の大将・上杉景虎でその名を轟かせていたから。
北条に仇成す可能性があるものは、すべて排除しなければいけない。
氏照の屈託のなさや優しさは大変魅力的だけれど、それはやはり氏政の存在があったればこそなんですよね。
長である氏政が、北条を守るために一人で背負ってきたもの。
彼の生き様に最も共感しうるのは、当の三郎だったのではないかと思います。
これもまた皮肉な話ですが。
 

(そういう兄の姿を、おまえは認めてやりなさい、氏照……)

 
氏照が無条件に寄せる尊敬の視線が、氏政にはなによりも痛かっただろうなぁ。
 
それにしても綱成をはじめ、氏康や幻庵といい、北条の年長者達は皆、本当に味がある。
彼らが北条兄弟を育んできた。
そこに物語の放つ重厚感を感じます。
 
【氏政と小太郎の距離感】
感情を持たない小太郎の前だからこそ、自分を取り繕わずに済む氏政。
二人の間にあるのは単なる雇用関係にすぎず、小太郎が忠誠を誓うのは氏康一人だというのも重々承知していたんでしょうね。
それが切なくもありますが、深く納得してしまう。
小太郎はそんな氏政をどのように分析していたのだろう?
この二人のシーンは、正直もっと見てみたかった。
 
【北条氏政 vs 松田隆秀】
松田隆秀・勝秀兄弟、とんだ下衆野郎共でした。
おそらくミラジェンヌ全員を敵に回しましたね。
景虎を凌辱し、人間不信に陥れた元凶。
しかも動機が氏政に対するやっかみ。
また今回も逆恨みが高じて、北条のテリトリー内で身内の人間はもちろん、市井の人も傷つけるという……。
この侮辱の数々に、普段は沈着な氏政もさすがにプライドを傷つけられ激昂する。
ここでは、氏政自身すら自覚していなかった、三郎に対する彼なりの情が引きずり出された感がある。
隆秀に殴りかかり、喉を締め上げる般若の形相は、いつもの理性的な横顔からは程遠い。
この時は一瞬、自分が北条の長である事を忘れたのでは?
反面、隆秀が絶命する寸前に告げた「三郎は北条を堕とす凶星である」という捨て台詞は、その後もずっと氏政を苛み続けたんだろうな。
『覇者の魔鏡』の時も脳裏を過ったに違いない。
 

「七月生まれのシリウス」

感想

タイトルになっているシリウスは、全天で最も明るい恒星。
白く輝く星は高耶のイメージにピッタリ。
またシリウスは伴星を持つ連星であり、まだ景虎を自分として受け止めきれていなかった当時の高耶や景虎の内包する二面性も想起させる。
作中でも言及されていますが、十字架を背負っているというのも非常に彼らしい。
 
《仙台編》の直後、高耶が東京で誕生日を迎えるお話。
最上・芦名の件の後処理を終えた高耶と直江は、派手さはないけれど温かい雰囲気の割烹料理店の暖簾をくぐる。
高耶さんのために、このお店を選んだ直江の心遣いが最高。
この二人はやはり和風が良く似合う。
景虎の記憶はいまだ戻らず、再会して間もない二人ですが、互いを知り、次第に距離感が縮まっていく様にニヤニヤが止まらない。
直江に心を許しつつある高校生の高耶さん、可愛いけど本当に罪な人(この時点では直江を保護者として見ている部分が大きいから)。
直江もそんな彼をみて、堪らない気分になっただろうなぁ。
 
食事からの帰り、訥々の自分について語る高耶。
大人ぶって斜に構えても、内心では愛に飢えていた自分。
彼が荒れていた頃、夜道で嗅いだ金木犀や木の葉、雨の香り。
父親の郷里で幼い日に見た星空。
そして、直江と二人で見た朝顔のつぼみ。
読者の視覚や嗅覚など、すべてが五感を通して心に訴えかけてくる。
高耶の昔の思い出は幸せなものばかりではないけれど、直江にとっては自分が傍に寄り添えなかった仰木高耶の歴史は、宝物のように感じられたに違いない。
 
宿泊先に戻った二人を意外な人々が待ち構えていた。
高耶のお誕生日をお祝いするために駆けつけた譲と美弥。
そして悪態吐きつつも二人を松本から連れてきてくれた千秋。
母親・佐和子が直江に託したバースデー・カードも併せて、高耶には自分の幸せをもっとかみしめて欲しい。
様々な経験から臆病になるのは分かりますが、皆にこんなにも愛されてるんだから。
 
ラストの花火シーンもすごく良い。
お兄ちゃん大好きな美弥の世話を焼く高耶。
仰木兄妹、尊すぎ。
高耶に触れたくて、無意識に手を伸ばしてしまう直江にもドキドキ。
タイムリミットが迫っているのと、花火の後に朧げに漂う切なさが重なる。
今はもう少し、この雰囲気に浸っていたい。
 
シリーズを読み返すと、高耶をはじめとした全員がずいぶん遠くへ来てしまったのを感じる。
景虎の記憶を封じていた高耶、そして直江にとって当時の優しい関係は泡沫の夢だったのかもしれないけれど、間違いなくかけがえのない時間だったと再認識しました。