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『炎の蜃気楼10 わだつみの楊貴妃(前編)』(桑原水菜/集英社コバルト文庫)感想【ネタバレあり】

炎の蜃気楼10 わだつみの楊貴妃(前編) (集英社コバルト文庫)

炎の蜃気楼10 わだつみの楊貴妃(前編) (集英社コバルト文庫)

わだつみの楊貴妃〈前編〉 (コバルト文庫―炎の蜃気楼〈10〉)

わだつみの楊貴妃〈前編〉 (コバルト文庫―炎の蜃気楼〈10〉)

 
『炎の蜃気楼10 わだつみの楊貴妃(前編)』の感想です。
第一部の最終話でありショッキングな展開が目白押しなので、読者も心して読まないと。
様々な陣営が入り乱れ、瀬戸内海全域に渡るスケールの大きな話ですが、前編はとりあえず発端編という感じ。
主な舞台は広島。
修学旅行先で、高耶達が見たものは……。
片や、高耶と直江もより険悪な状態に突入してしまい、彼らの関係からも目が離せません。
 

 

『炎の蜃気楼10 わだつみの楊貴妃(前編)』(1993年8月3日発売)

あらすじ

大阪湾に出没する霧に包まれた謎の戦艦と安宅船について調査していた直江。
海難事故や船の乗員の行方が続発する広島へと足を延ばすが、精神の疲弊により己の《力》が急激に衰えているのを自覚して愕然とする。
その頃、高耶達城北高校も修学旅行で広島を訪れていたが、広島平和記念公園で女生徒達の精気が”楊貴妃”を名乗る赤い鳳凰に奪われる騒動に遭遇。
何れの事件の裏にも、《闇戦国》の怨将達が蠢いているようで……。
 

感想

前述しましたが、第一部のラストを飾るお話という事で衝撃的なシーンの連続です。
しかし、シリーズ通してみると、それでもまだ序の口だという事実にめまいがします。
ページめくるたびに、いちいち胸を抉られると言っても過言ではないので、高耶や直江と同じく読者にとっても消耗戦かも。
 
事件は《闇戦国》どころか、大戦時代の戦艦《大和》や海軍の数多の亡霊、中国唐代の皇妃で絶世の美女の代表格《楊貴妃》、ひいては海神の宝珠《干珠》と《満珠》なんてものまで登場して、私達の想像の遥か上を超えてきます。
少女小説の範疇を完全に超えてしまった(もちろん、良い意味で)。
陣営や登場人物数も格段に増えましたが、どれも使い捨てにはせずに各自の物語を丁寧に描いているので、密度が濃く説得力がある。
一人一人の人物の息遣いがきちんと感じられ、一己の人間として確立されています。
それがたとえ高耶達と敵対する人間であったとしても、バック・ボーンがしっかりしているので単純な善悪で割り切れず、どうしても嫌いになる事ができません。
一見、これだけ煩雑な伏線の数々や人間模様をきちんとまとめ上げているのは、桑原先生、さすがだなと。
 
おまけに今回は、いよいよ満を持して我らが殿こと織田信長公直接(?)参戦という事で、第一部最終話に真にふさわしい布陣。
登場時のあまりのラスボスっぷりに、絶望感が半端ない事請け合いです。
宿敵である景虎に再会できて、殿、無茶苦茶楽しそう(高耶さん大迷惑)。
 
そんな感じで窮地の高耶ですが、直江との関係もさらに拗れていく一方。
一見直江に対して高圧的に振舞っているようにしか見えないけれど、相手が自分から離れていく事に怯えている。
その恐怖感はもしかしたら、直江のそれを上回るかもしれない。
”勝者”、”天才”ゆえの孤高が彼を苦しめる。
しかも直江と違い、外に向かって一切表さないから、より一層性質が悪い。
 
直江は直江で、景虎との幸せな死も、景虎を抱いて貶める事も叶わず、名も知らぬ女達との束の間の情事に身を置く。
しかし、彼の心を占めるのは唯一の人だけであり、溺れる事すらできない。
その上、《力》まで失うなんて……、400年間呼吸するかの如く《力》使ってきた直江にとっては、手足の自由や五感を封じられたのに等しいのでは?
「解放してほしい」、「すべてを終わりにしたい」……、どうして直江が諦念の境地に至らずを得なかったのが痛いほど分かります。
彼らの現状はどん底どころか、底なし沼に足を絡めとられたかのようで、本当に見てられない……。
 

各シーン雑感

千秋のレパードに乗って登校する高耶

あの譲一筋の森野沙織をして、下記のように言わしめさせるのだから凄い。
 

「仰木くんてば、少し見ないうちに、なんかすっごいかっこいい人になっちゃったわよねぇ。物腰が違うわよねぇ」
「かっこいいっていうのかねぇ、ありゃ」
「なんか仰木くん、美人になっちゃったわよねー。昔はただの野生猿だったのに。な、なんてーの?」
沙織は興奮して訴える。
「いやに気品が出たってか艶っぽくなったってか……。磨かれたわよねぇ。あれが仰木くんじゃなかったらコロリといってたかもね」

 
溢れる気品と風格、そして艶が鼻血物というか、城北高校生になって是非拝みたかった~~~!!!
黒で統一されたファッションに青のマフラーとか……(シンプルだけれど着こなすの確実に難しい)、もう存在そのものがエロ過ぎる。
でも、あまりにも輝かしすぎて、手も出せないジレンマ(某狂犬にシンクロ率100%)。
城北高校に仰木高耶ファン増殖中なのは間違いありませんね。
 
しかし、外見から見られる充実ぶりとは裏腹に、醸し出される危うさは巻を重ねるにつれてどんどん強くなり……。
譲が「高耶が遠くに行ってしまう」という不安を抱くのも分かる。
直前の譲と森野の会話が、本当に高校生の日常の風景そのものだっただけに、高耶の現在とのギャップが遣る瀬無い。
 

松本の街を巡る高耶と譲

地元のゲーセンで遊ぶ高耶達の姿は以前のものと何ら変わりありませんが、高耶は急激に階段を昇りつめ、街もまた着実に変化の兆しを見せている。
馴染みのファーストフード店とは、やはり一巻に登場した松本駅のところにある店舗でしょうか?
……まだあれから作中内時間で数か月しか経っていないのに。
高耶の留年が決定してしまった事からも、高耶と平凡な日常生活が完全に別たれつつあるのが感じられて切ない。
一見、遠くに離れていこうとしているのは高耶のようで、実は置いていかれているのは彼なのではないかというもの哀しさ。
 
そして、二人が最後に足を向けたのは、すべての始まりを象徴する松本城。
そこで譲は自分に暗示をかけるのだけはやめて欲しいと、そして最後の思い出に修学旅行は行ってもらいたいと懇願する。
譲も高耶を繋ぎとめようと必死なんですよね、たとえそれが焼け石に水にしかならないのを理解していたとしても。
諦観する高耶の代わりに怒ってくれる譲は本当に良いヤツ。
 
またこの後の高耶と美弥のやり取りにも涙。
彼女は既に暗示をかけられていて、兄がほとんど家に寄り付かず、命を危険にさらしている事すら知らない。
大切な人の心配すらさせてもらえないのは残酷過ぎる……。
このシーンの美弥がまた「お兄ちゃん大好き!」なのが伝わってきて、一層涙腺を刺激する。
 

城山公園から松本市を眺める高耶と千秋

桑原先生、ま~た読者の涙腺ぶっ壊しにかかってますよ(通常運転)。
しかもこんな序盤から……。
 
昨日、高耶さんが譲と遊んでいたのは、魔王の種を封じるため、催眠暗示を施すのが目的であった事が判明。
「暗示をかけない」と約束した傍から破らざるを得ないという……。
美弥といい、不可抗力とはいえ大事な存在ほど傷つけてしまう……、運命は高耶さんに対して過酷すぎる。
 
ここの高耶と千秋のやり取りがまた泣かせる。
高耶と直江に対して「……俺がこの眼で見届けてやる」というのは、どんなに優しい台詞よりも千秋の情の深さを表しているような気がします。
千秋の高耶達を放っておけないというスタンスは、シリーズ通して本当に終始一貫していましたね。
まさに有言実行。
男前すぎる。
 
高耶さんの「あいつの真実以外のものに、……オレは惑わされない」という、一本筋の通った台詞にも聞きほれてしまう。
どんな時も失われない魂の気高さ。
それどころか、苦境に立たされれば立たされるほど、その輝きは増していく。
人々は彼のそういうところに惹かれていくんだろうなぁ。
しかし読み返してみると、この台詞も後の展開の伏線になっているようで、あらためて驚きました。
 

ジバンシィの女

ジバンシィの女、来たーーー!!!
名もなきモブのはずなのに、ミラジェンヌにその存在を刻み込んだ彼女。
私の中では今でも「ジバンシィ=直江が抱いた女が使っていた香水」でインプットされちゃってますからね。
なにしろ強烈なインパクトでした。
直江の爛れた生活の象徴。
もちろん、高耶さんの代わりになるわけもないんですけれど。
 

高耶達の修学旅行

重い物語の中で、トランプするシーンとプロ野球談議が一服の清涼剤でした。
千秋が隠れ阪神ファンで、逆転負けして泣いてたのに笑う。
『まほろばの龍神』といい、千秋、もしかしなくても高耶さん大好きだろう?(知ってる)
上杉軍は皆、十中八九トラ党だろうなぁ。
六甲おろし歌ってる怨霊とか、想像するとシュールだ。
ねーさんは燕党で、直江はどこだろう……、やっぱりトラか?
 
修学旅行のシーンで最も印象的だったのは、高耶達が原爆ドーム及び広島平和記念資料館を見学する場面。
ここは物語の本筋自体とはあまり関係ありませんが、読者に伝えるべき事は伝えなければいけないという、桑原先生の文筆家としての気概が伝わってきました。
景虎達は実際大戦を経験してきたから、持って行き場のない想いを今でもずっと抱え続けているのでしょう。
 

急速に《力》が衰えていく直江

精神の摩耗と比例して、《力》が衰えていく直江の焦燥がリアルすぎて痛ましい。
八海が直江に拳銃を渡した時には、冷たいものが背筋を伝いました。
今まで何度となく高耶の危機を救い、そつなく補佐をこなしてきた直江が《力》を使えなくなる。
読者である私ですら、これほどの心許なさに震撼しているのに、本人の動揺はいかばかりか?
ただでさえ景虎との関係において”敗者”である彼が、さらなる屈辱を味わうこの絶望感も計り知れない。
《力》を失い、「あなたに執着するのは、やめました」という直江にも、変わらず抑えつけ屈服させ、自分への執着を煽る事しかできない高耶の無力感も凄い。
「お前なんか必要としていない」、「俺には誰も必要ない」と高耶が己に向かって盛んに言い聞かせるのは、誰よりも直江の温もりを必要としている証左。
しかし、相模での忌まわしい記憶、そして”勝者”と”敗者”という型にはめなければ関係を維持できない不安が、高耶を自縄自縛する。
結局、これらを克服していかないと、二人は前へ進めないんですよね。
 

第六天魔王降臨

あぁあぁぁぁ~~~~~!!!!!
もう次から次へと崖っぷちな局面が襲ってきて、挙句の果てにはこれですか!?
もう、読者である私ですら、頭を掻きむしりなくなります。
とにかく最悪だ~~~!!!最悪だ~~~!!!
高耶さん、ただでさえ風魔小太郎に謙信公への不信を煽られ、譲の事でいっぱいいっぱいなのに……。
肝心の譲を悪魔の種で遠隔操作して信長公降臨とか……、桑原先生、よくこんな極限状態を止め処なく創造できるなぁと感心してしまいました。
悪魔の種のTPOの読めなさって、まさに殿の人となり、そのものだなと。
登場の仕方があまりにもラスボスのテンプレ過ぎて、信長様マジ信長様としか言いようがない。
久しぶりの再会ついでに、高耶をいたぶる姿が本当に楽しそうでなにより。
溢れんばかりの強者感&無敵感。
おまけに、高耶達の乗船していたフェリーを木っ端みじんにして乗員乗客の生死不明とか、やる事がいちいちダイナミックすぎ。