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『炎の蜃気楼12 わだつみの楊貴妃(後編)』(桑原水菜/集英社コバルト文庫)感想【ネタバレあり】

炎の蜃気楼12 わだつみの楊貴妃(後編) (集英社コバルト文庫)

炎の蜃気楼12 わだつみの楊貴妃(後編) (集英社コバルト文庫)

炎の蜃気楼シリーズ(12) わだつみの楊貴妃(後編) (コバルト文庫)

炎の蜃気楼シリーズ(12) わだつみの楊貴妃(後編) (コバルト文庫)

 
『炎の蜃気楼12 わだつみの楊貴妃(後編)』の感想です。
物語の舞台は山口県萩市から、瀬戸内海全域に至り、やがて厳島神社へと収束していきます。
表紙からして正視するのを躊躇ってしまいますが、読者もここは踏ん張って、第一部最終巻を見届けましょう。
 

『炎の蜃気楼12 わだつみの楊貴妃(後編)』(1994年1月3日発売)

感想

「読者もここは踏ん張って」などといった傍からなんですが、もう、高耶さんも読者も、精魂尽き果てました。
『わだつみの楊貴妃』のみならずシリーズ第一部最終巻という事で、事件を収めるべく派手な展開の連発。
息を突かせぬ海上戦。
交錯する人間関係。
それだけでも読んでいてかなり消耗するのですが(物語としては抜群に面白いので誤解無きように)、一冊に渡り通奏低音のように響いている高耶の怒りや悲しみを通り越した虚無が、荒廃した不毛の大地を思わせる。
そこに一人佇む高耶。
隣には誰もいない。
半身とも呼ぶべき相手を失った事に対する傷心があまりにも行き過ぎて、痛みを感じる神経すら失われてしまった。
読者でさえ多大な無力感を強いられるのだから、家族以上の存在である晴家や長秀の苦しみは如何ばかりか……。
ラストも、ただひたすら痛ましい。
こんなにハードなBAD END、そうそうお目にかかれません。
筋違いかもしれないけれど、小太郎や作者の桑原先生でさえ恨みたくなってしまう。
正直、ここで脱落する読者がいても不思議ではない。
それぐらいツラい。
しかし、再読の身としては、ここまで来たからには初読の方にも、なんとか最後まで読み通して欲しい。
決して後悔させないほどの感動が、仰木高耶という一人の青年の生き様に詰まっているから……。
  

各シーン雑感

直江、死す……

この字面が……、キーボードを打ってるだけでツラッ!!
しかも、高耶と直江が言葉も交わす間もなくほぼ即死。
直江の死の瞬間がスローモーションを見ているように克明に描写されていて、臨場感や喪失感、絶望感が凄まじい。
心身共に弱っていた直江は、換生する事も能わず。
直江を撃った当人である毛利輝元は絶命してしまっているし。
おまけに、これまでの輝元の人物描写を読んでいると、彼の事を憎むのも難しい。
神輿として担ぎらされてしまった彼もまた、《闇戦国》になど関わる事なく、平穏な毎日だけを望んていただろうから。
 
すべてが虚しい。
この行き場のない想いをどこへもって行けばいいのか……、高耶の心の箍が外れてしまったのも納得できる。
たとえ萩一帯を焦土と化したとしても……、それだけ彼の中で直江の存在は絶対だった。
二人の新たな関係が始まりかけた時だったからなおさら。
景虎の実父・北条氏康の尽力でなんとか事なきを得ましたが、この時、高耶は意識を失って良かったのだと思う。
直江が荼毘に付される場面なんて、とても見せられないから。
しかし、小太郎が使った聖油が、後々重大な意味を持ってくるとは思いもよりませんでした。
さすが、桑原先生。
伏線の妙に唸ってしまう。

 

悲しみに沈む時間も与えられず、戦場に立たねばならない高耶

氏康に連れられて、須佐の海に逃れた高耶。
だが、時は待ってくれない。
彼が萩で過ごす内にも、戦況は時々刻々と変化している。
戦場で景虎を待っている人々がたくさんいる。
また、譲=弥勒菩薩の力を信長に利用されれば、世界を滅ぼす事にもなりかねない。
氏康の《立ちなさい》という言葉がリフレインする。
ここで、景虎は初めて氏康に対して弱音を吐く。
 

「――死なせて……ください」
高耶の瞳から涙がおちる。
「もう……死なせてください」

 
ここでも涙腺崩壊。
どんな険路を進んでいても、絶えず前を見続け、皆を導いてきた景虎から出た、死を希求する直截な言葉。
食いしばった歯の間から押し出すような……、悲鳴を発する気力もなく、まるで疲れ果てた老人のような……。
これまで『炎の蜃気楼』を読み続けてきた読者なら、彼の嘆きが如何に深かったかが、痛いほどお分りになると思います。
自ら死を選ぶのは罪だなどと、正論を振りかざす事はできない。
それだけ、彼が直江と積み上げてきた400年間は重い。
このシーンでは氏康もまた、《闇戦国》の謎を追う武将としての顔と、子を大切に思う親の顔の間で揺れていたんでしょうね。
氏康は三郎景虎以外の子供達を既に失っていたから、たとえ彼に恨まれたとしても、どんな形であろうとも生きてもらいたかったんじゃないかな?
それが、息子に修羅の道を歩ませる結果になったとしても(親のエゴと言われてしまえば、それまでですが)。
 
そして、高耶はゆらりと立ち上がる。
まるで、壊れかけた人形のように。
 

戦場に舞い戻った高耶

千秋や《大和》の燃料源として捕らわれた人々を救出して、敵を撹乱し、村上水軍を無力化。
毛利の両川の一翼・小早川隆景をも討ってしまう。
華々しい戦果。
冴えわたる智謀。
お見事、景虎様、いつもながらに頼もしい。
……そう、普段なら手放しで称賛できるんです。
しかし今回ばかりは、その「いつもながら」が恐ろしい!!
さっきまで「直江直江直江」と動揺していた高耶との温度差。
しかも、あれほどまでに能弁だった彼のモノローグが、ある瞬間からパタリと止んでしまった。
これを嵐の前の静けさと言わず、なんと呼ぶ!?
 
ずっと高耶と直江を見守っていた千秋は、さすがに高耶の危うさに気づきます。
 

「大丈夫なんだな、景虎」
「……………」
「おまえは、大丈夫なんだな?」
高耶は答えない。面をかぶったような表情は動くことがない。そんな高耶をしばし眺めて、千秋はおもむろに歩み寄った。
「……っ」
千秋が不意に手を伸ばし、高耶の頭を抱えこんで自分の肩に押しつけたので高耶は驚いて目を見開いた。
千秋は耳元に唇を寄せると、
「お前は死ぬんじゃねぇぞ、景虎」
「………」
押し殺した声で告げた。

 
千秋の彼なりの思いやりが温かすぎて、私のハンカチ代わりのハンドタオルが涙でベチョベチョです。
ここで一瞬、心を凍り付かせていた高耶が、驚きに目を見張るのがまた泣かせる。
それ位、高耶と千秋の間にある絆も深い。
ただし、今回ばかりは喪失があまりにも大きすぎて、他の人間では埋められない絶望をひたすら眺めるしかできない。
  

友姫と漁姫の諍い

高耶と直江の件があまりにもインパクトが大きすぎたので霞んでしまったかもしれませんが、友姫と漁姫の確執も物語に暗い影を落としていました。
個人的には姉妹がいるので、より一層共感を覚えてしまう。
互いが互いを大好きだったからこそ、どうしても許し難い一線。
己の身の内にある醜さや浅ましさに蓋をする事により、相手への復讐心や嫉妬など、負の感情はさらに燃え上がる。
姉妹の諍いの原因となった吉川元春の乗船する《大和》が沈んでいくのを、二人はどんな気持ちで見送ったのだろう?
友姫、漁姫共に元春を大事に思っていたから、なおさら胸が張り裂けそうになる。
おまけに、信長の野望を挫くには、漁姫が犠牲にならなければないって、神様(桑原先生)、そんな殺生な!?
あまりの急展開に最後が若干駆け足気味だったのが残念ですが、友姫、漁姫、元春、三人の物語は独立した作品になっても遜色ない……、それぐらい濃密な人間ドラマでした。
 

暗澹たる物語の中、一人だけ終始ご満悦な信長様

信長様+宝珠+弥勒菩薩の力=もう、信長様一人いればいいんじゃないかな……?(遠い目)
陶晴賢も、九鬼水軍も、彼にとっては単なる前座に過ぎないんですね。
そして《大和》までも……、まるでお気に入りの玩具で遊ぶ無邪気だけれど手加減を知らない幼子のようになぎ倒していく。
それに対抗できるのは、最早一人しかおらず……。
織田派、反織田派、そして大戦で亡くなった海軍兵や現代人に至るまで、この戦に関わったほぼすべての霊達を一気に調伏してしまった景虎。
本作において、この二人だけが別格なのだと、あらためて思い知りました。
信長が景虎に対して、ある種のシンパシーを抱くのも分かります。
天才にしかわからない境地、そして孤独。
景虎がいなくなったら、信長にとって世界はとても退屈なものになってしまうに違いない。
 

ラストバウト in 厳島

干満岩と一体となり神格化した漁姫や弥山の天狗の助けもあり、織田軍も撤退を余儀なくされる。
しかし、ただ一人、織田信長だけは、厳島神社で宿敵・上杉景虎を待っていた。
まあ、自ら第六天魔王と名乗ってしまうくらいのお方だから、こういうシチュエーションは大好物でしょうね、信長様。
片や、上杉夜叉衆も景虎、長秀、晴家と揃い、……胎児換生した色部さんはともかく、肝心のもう一人がいないのが遣る瀬無い。
そこから始まる激闘。
晴家が倒れ……、また、長秀も倒れ……。
景虎と信長の一騎打ちは、三十年前の阿蘇を彷彿とさせる。
一度は魔王の種の凍結を阻まれるも謙信公の力を借り(今回は氏康に謙信と、景虎のパパ’Sが大活躍でしたね)、辛うじて信長の力を封じた高耶。
満身創痍の彼は、束の間の眠りにつく。
 

(目が覚めたら、オレたちは今度こそ探り出せるだろう?直江)
おまえとオレの『最上』のあり方を。

 
本当に、前巻からこれまでの展開、すべてが悪い夢だったら良かったのに……。
 

直江の死を受け止めきれず、不条理で優しい夢に揺蕩い続ける高耶

考えうる限り最悪のBAD END、来たーーーーー!!!!!
終章では今回登場した人物達のその後や、事件がどのように収束していったかが語られました。
……が、それも耳から耳へと抜けていきます。
 
高耶さんがあまりにも不憫すぎて……。
あれだけ懊悩しつつも歯をくいしばって生きてきた人間の末路がこれですか?
一見、高耶が安らいで見えるのも、目を逸らしたくなる。
仮初の安寧でしかないのは明らかなのに。
悲しみを通り越して、憤りすら覚えます。
小太郎にとっては不可抗力なのかもしれないけれど、まったく違う人間が《直江》として高耶の隣に立つのは、ちょっと許し難いものがありますね。