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『炎の蜃気楼8 覇者の魔鏡(後編)』(桑原水菜/集英社コバルト文庫)感想【ネタバレあり】

炎の蜃気楼8 覇者の魔鏡(後編) (集英社コバルト文庫)

炎の蜃気楼8 覇者の魔鏡(後編) (集英社コバルト文庫)

炎の蜃気楼シリーズ(8) 覇者の魔鏡(後編) (コバルト文庫)

炎の蜃気楼シリーズ(8) 覇者の魔鏡(後編) (コバルト文庫)

 
『炎の蜃気楼8 覇者の魔鏡(後編)』の感想です。
舞台は前巻から引き続き、日光、箱根。
龍神として現れた北条氏康から、高耶の躰を助けるか否かの選択を迫られ、直江が選んだ道は?
そして、日光では東照宮周辺を舞台にして、上杉夜叉衆と北条氏の全面戦争が始まろうとしていた。
 

『炎の蜃気楼8 覇者の魔鏡(後編)』(1992年10月2日発売)

あらすじ

氏康が齎した雄の《つつが(ケモノヘンに恙)鏡》により、景虎との永遠の安息を諦め高耶の躰を救った直江。
一度は分かり合えたかのように見えた二人だが、軋轢は一層深まっていく。
それにかまける間もなく、高耶達は合流した晴家と共に再び日光へ……。
北条氏の《火合の法》と首都圏を掌握するための関東大三角は、何としても阻止しなければならない。
血縁者達との直接対決。
景虎の壮絶な戦いが火蓋を切ろうとしていた。
 

感想

今作は北条との最終決戦という事で、ひたすらバトルの連続でした。
また舞台も関東をまたにかけて、日光と箱根を往復した直江と晴家は相当きつかったんじゃないかと。
直江が選んだ結論については……、うん、分かってました。
直江が心中ルートを選ばない……、というか選べない事。
彼にとって高耶と景虎は不可分である(というか最初から線引きに意味がない)以上、高耶が助かる一縷の望みにかける。
以前どこかで書きましたが、直江が景虎を護るのは彼の本能に基づいた行為。
だから、自分にとっての永劫の楽園などはかなぐり捨てて、理屈抜きに体が動いてしまう。
高耶の無事に歓喜に打ち震えつつも、その裏で底知れぬ絶望を味わう。
これは他人事ながらかなりしんどいです。
400年もの間、このような懊悩にまみれていたのだから、病まない方がおかしい。
一方、高耶は高耶で、いまだに己と景虎の間で揺れている。
これは記憶が戻っていないから仕方がないけれど、たとえ思い出したとしても新たな煩悶が待っているだけですからね。
まさに進むも地獄退くも地獄。
 
そんな高耶さんですが、直江との確執の他にも、この巻では生家の人々との直接対決が本当に辛かった。
彼は一軍の将として痛みを表に出さないけれど、それによってさらに悲壮感が増しています。
実家の人間達がただの私欲に塗れた俗物なら、まだ良かったんですけれどね……。
その点、このシリーズは容赦ない。
読者の胸と涙腺を抉ってきます。
 
北条の滅亡からラストにかけては、言う言葉が見つからない。
各場面に関しては後述の印象に残ったシーンで語りますが、とりあえず終盤ではハンカチ代わりに使っていたハンドタオルが涙でベチャベチャになりました。
おまけに、蘭丸が譲に魔王の種植え付けていくし(この時が初登場でしたね、魔王の種)、高耶さん、踏んだり蹴ったり過ぎる。
この先、彼の目の前にはより一層の苦難が待ち構えているけれど、読者はもう黙って付いていくしかないですね。
 

各シーン雑感

景虎との永遠の楽園を自ら手放した直江

これぞ直江という男の神髄。
エゴだろうが何だろうが唯一の人を助ける。
それが使命以上に彼を縛り付ける本能。
 
高耶の躰を救う一助となったのが、景虎がいない時代の直江を支えた数珠だという事に涙腺が刺激される。
そして、愛する人を万感の想いで抱きしめる直江……、その素直な気持ちのまま相手を慈しむ事ができたらどれだけ幸せだろう?
高耶さんの台詞にも涙。
 

「信じたとおりになった……」
「…………」
「つぎに目が覚めるときは、かならずおまえがそばにいるって――」
(中略)
「……ありがとう」

 
なぜこれほどまでに想い合う二人が傷つけ合わなければいけないのか?
むしろ互いだけをひたすら見つめてきたこその結果なのか?

この二人を見ていると《ヤマアラシのジレンマ》という心理学用語が、いつも胸を過る。
 
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理解しあったと思った瞬間、しがらみに足元をすくわれてしまう。
斯くも深き人間の業。
 
それはそうと、このシーンでは小太郎が「あとはきさまを殺すだけだ!」と直江を襲ってきたのには驚きました。
小太郎的には三郎殿が無事ならばオール・オーケーだろうけれどさ、汚いなさすが忍者汚い。
 

湖畔での諍い

陸に上がったら一気に現実に引き戻されたというか、再びギスギス・モードに戻ってしまった二人。
おまけに湖岸には、小太郎に始末された遠山康英や北条方の人々の遺体が累々と横たわっている。
結局、氏照の宿体も死んでしまったんですね。
あの人懐っこい笑顔はもう見れないんだ……。
直江が己に何を求めるのか分からない高耶は頻りに問い詰めるけれど、直江からしてみればそれすら傲慢に映る。
確かに高耶が自分と景虎を分けている時点で、直江と同じ土俵まで下りてきていないのだから(高耶からしてみれば不可抗力かもしれませんが)。

直江の「できもしないくせに……」という台詞の反復は、高耶を傷つけると同時に、返す刀で自身にも苦渋を突きつける。
景虎は景虎で、直江をとことん屈服させ、抑え込む事でしか自分に縛り付けておく手段を知らない。
なるほど、景虎を取り返すために行った直江の所業を厳しく咎める姿は、直江を誰よりも憎んでいるようにすら見える。
それが自尊心の強い直江の反抗心と支配欲、そして景虎への執着を煽っていく(ある意味、景虎の思惑通り?)。
今の時点では、相手を苛む事でしか傍らにいられない二人。
本当に不器用すぎる。
 

北条氏政と北条幻庵の会話

このシーンがある事によって、氏政を単なるヒールとして扱えなくなってしまう。
氏照ほどではないにしても、氏政なりに三郎の事を大切に思っていたのが明らかになる場面。
氏政が非情というよりも、人質が横行していた戦国の世では、氏政の価値観の方がより一般的だったのかもしれない。
まあ、景虎からしてみれば冗談ではありませんが。
氏政は氏政なりに、尊敬する父親に天下を取らせ、安寧の世の中を作るという理想に邁進していただけ。
だが、既に氏康に覇道への野心はなく、やり方も拙かった為、今回のような悲劇を招いてしまった。
 

景虎と浅岡麻衣子の出会い

高耶を一目見ただけで、直江に想いを寄せる麻衣子が打ちのめされるシーン。
白装束姿の高耶さんがあらためてヤバい!!
これほど特別な存在が、恋敵だとしたら絶望するしかありませんね。
こんな人、野に解き放ったら、そりゃあ変なのがわんさか群がってくるわ。
直江が景虎を取り巻くものすべてに嫉妬するのも理解できる。
一方景虎も、直江が優しい態度で接する麻衣子に対して嫉妬気味?
景虎様も存外分かりやすい。
 
ちなみに景虎様は和装も溜まらないですが、直後のアームバンドも良かった(挿絵付き)。
これで中身は威厳のある戦国武将というギャップ。
 

日光山を股にかけた激闘

今回は全編通して戦いの連続でした。
私が言うのも烏滸がましいかもしれませんが、第一巻『炎の蜃気楼』と比べて戦闘描写の臨場感や迫力が格段に増しています。
千秋と子つつがのナイス・コンビネーション。
直江と風魔の小太郎、因縁の激突。
高耶が霊波同調した大つつがと、東照宮の霊獣達との死闘。
日光東照大権現・徳川家康と軍神・上杉謙信の対峙。
どれも甲乙つけがたいほど熱い。
千秋に懐くつつがちゃんがとにかく可愛かった。
小太郎の「しぇえーーっ!」には笑いを禁じ得ませんでしたが(『おそ松くん』のイヤミ?)。
 
そう言えば、この『覇者の魔鏡』では、上杉謙信、北条氏康、武田信玄(前編の序章に少しだけ登場)という景虎にとって父親と呼べる存在、そして養子縁組を結ぶ直前までいった北条幻庵まで揃い踏みでした。
それぞれが貫禄と実力を兼ね備えた大人物で、彼らの背を見て育った上杉景虎は、やはりドラマティックな人だなと感嘆。
 

中禅寺湖での景虎と氏政の一騎打ち。……そして北条氏滅亡。

全ての目論みが外れた氏政が、景虎を討つためにやってくる。
 

「兄上は中禅寺湖に向かってる。雌のつつが鏡もいっしょだ」
「こっちにって、まさか中宮祠を取り返すつもりなの!」
「それもあるだろう。だが一番の目的はこのオレだ」

 
血の繋がった兄弟だからこそ、長兄が自分を誰よりも憎んでいるのが分かってしまうんですよね、景虎は。
怒り心頭で目の前に立つ氏政に対して、景虎も「私はあなたの道具なんじゃない!」と長兄に恨み言をぶつける。
「乱世の習い」、「恨んでも仕方がない」と、400年間ずっと胸に秘めてきた本音が一気に噴き出してしまったのが痛々しい。
景虎の感傷を冷徹に切って捨てる氏政。
そして、実の兄弟ゆえに避けられない血塗られた闘争。
舞台が相模の海を彷彿とさせる水辺だというだけで辛い。
氏政の放った毒により劣勢に立たされた景虎。
そんな時、意外な人物が姿を現す。
 
氏照兄~~~~~!!!!!(涙腺崩壊)
 
景虎をたらい回しにせざるを得なかった事、御館の乱でみすみす死なせてしまった事、ずっと後悔していたんですね。
こんな素晴らしい兄貴、弟の三郎が調伏できるわけないじゃないですか!!
でも冥界上杉軍の上杉景虎ならば、やらなければいけない。
氏政と共に消えた氏照は、ついに三郎と肩を並べて戦場を駆ける事は出来なかったけれど、心置きなく逝けたのかな?
もしかして、生家を断絶させるという、さらなる業を背負わせてしまった三郎に対して申し訳なく思ったかもしれない。
これは三郎景虎が乗り越えていかなければいけない事なのだけれど。
 
……っと、ここで終わらないのが、桑原先生及びこの作品の恐ろしいところ。
氏政の毒に侵され、朦朧とする意識の中、兄弟たちの息の根を止めてもう何も立ち上がりたくないであろう景虎。
そこで彼の脳裏を過ったのは譲。
400年前も親友であり、そして殺しあった”彼”。
”彼”を護らなければいけない。
景虎にはまだ使命が残されている。
 
そこである人物が、景虎の躰を蝕んだ毒を癒す。
北条幻庵。
景虎の大叔父であり、父親になったかもしれない人物。
彼は北条の最期を見届けるために、この場所へ足を運んでいた。
幻庵は景虎に餞の言葉を贈る。
 

「誇りを持って信じてひとりで進みなさい。おまえにまちがいはない。おまえはまちがってはいない。それが、われらがそなたに残す、最後の言葉だ」 

 
桑原先生、読者の涙腺ぶっ壊す気ですか……。
私の涙腺のHPはもう0ですよ……。

 
こうして、景虎は二度までも己の愛した北条家が滅びるのを目の当たりにしてしまったんですね。
しかも、二度目は自らが手を下して……。
 

「身体に気をつけて……」

すべてが終わって、中禅寺湖畔に佇む高耶と直江。
直江は傷つく高耶に「私に甘えないでください」と突き放す。
幸福な死に身を委ねる事も出来ず、直江に余裕がないのも分かりますが。
 
氷のように冷たい言葉の数々と、感情のこもらない「あなたを、愛しています」。
「身体に気をつけて……」というたった一言の労いと、肩にそっとかけられた温かな上着。
 
どちらも同じ人間から発せられた言動とは思えない。
その振り幅の大きさに、高耶の混乱は深まる。
直江という人間も、自分の中にいる”景虎”も、高耶の理解を超えている。
「直江を救うべき人間」、「直江について考える資格」……、そう考えている内は、直江という人間に踏み込むにはまだ道半ばですね。